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2018年4月29日 (日)

犬を連れて岸和田城に行きました

妻のお母さんが飼っている柴犬のR君を車に慣れさせる(犬は車酔いをする)ために、妻、妻のお母さん、R君と私の3人と1匹で、妻の実家から比較的、近い岸和田城に私の車で行きました。

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ここから岸和田城のうんちくです
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岸和田城がいつ、誰によって建てられたのか詳しいことはまだわかっていませんが、
戦国時代末期(16世紀半ば)には、泉州地域を治めていた松浦氏の居城となっていたようです。
天正13(1585)年、羽柴秀吉は岸和田城を拠点として、紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、秀政は城下町と城郭の整備にかかり、天守もこの時に建てられました。
小出秀政・吉政・吉英、松平(松井)康重・康映をへて寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝が入城(6万石、のち5万3千石)。以後、明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。
江戸時代の岸和田城は、大坂の南の守りとして、幕府の西国支配に重要な役割を果たしました。

正保城絵図

正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。
城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、
城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。

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https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0305000000_5/0000000448/00
国立公文書館デジタルアーカイブ
NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN DIGITAL ARCHIVE

 正保城絵図によると、岸和田城は、数重の水堀を廻らせた平城であり、海が近いこともあり、海城という要素が強かったのかもしれません。
また天守は下見板張り層塔式の五層であり、途中の屋根にいくつかの千鳥破風を置いただけの、無骨でいかつい、いかにも戦闘的な天守であったようです。

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天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊したため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。また堀の多くは埋め立てられてしまい、現在は、本丸と二之丸だけが残されています。

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現状だけを見ると、かなり狭い城であったと思い込んでしまいそうですが、実際は、この周囲にさらに何重もの堀を巡らせた広大な城であったとのことです。
天守は、本来は5 層天守であったことが確認されていますが、なぜか昭和29年に建造されたのは3層3階の天守です。
本丸と二の丸を連ねた形が、ちぎりに似ているため、千亀利城(ちきり城)とも呼ばれています(「ちきり」とは機(はた)のたて糸をまく器具のこと)。

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岸和田城で特筆すべきことは岸和田城庭園(八陣の庭)と思います。
八陣の庭は、昭和28年に作庭家の重森三玲(しげもりみれい)氏によって、作庭されました。

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     (本丸庭より)           (天守最上階より)

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本庭園は、上・中・下3段の基壇の中央に、大将の石組みを配置し、これを中心に8つの石組みが円形に配置されています。中国三国志の英雄として名高い諸葛孔明(しょかつこうめい)の「八陣法」をイメージしたもので、これらの石組みは地上からは、360度どの角度からも鑑賞することができるようになっています。また本庭園は、岸和田城天守閣の最上階の眼下にあって、その全容を眺望することができます。これまでの水平方向の視点だけでなく、垂直方向に展開する多様な視点を意図した本庭園は独創的で、国内外で注目されてきました。
その芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値が高いことから、平成26年10月6日付けで国の名勝に指定されました。
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岸和田市HP Kisiwada City Official Web Siteより
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/70/hachijin.html

さて私たちの犬のR君は行きはなんとか岸和田城まで行けたのですが、帰りは残念ながら車酔いをしてしまいました(;ω;)。
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2018年4月21日 (土)

伯母さんのお墓参りに行きました

昨年末に他界した伯母さん(母の兄の奥さん)の墓参りに兄弟三人で母の里である三重県志摩市に車carで行きました。

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いざ出発!!!。

大阪を8時に出発し休憩をしながら、順調に11時30分ぐらいには叔母(母の妹)の家に到着しました。

少し雑談の後は、昼ごはんに私のお気に入りのレストラン「坂のうえ」から

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https://www.facebook.com/pages/%E5%9D%82%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%88/1622764837938774

お弁当をとってくれていました。

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お墓参りには、従妹たち、叔母さんと私たち兄弟3人の計6人で行きました。

順番とはいえども、やはりお世話になった人が他界するというものは寂しいものがありますdespair

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墓参りを終えると叔母(母の妹)さん、従妹と私たち兄弟3人の計5名で、パールロードを経由して従妹から紹介してもらった相差にある「うえ久」(赤丸)さんへと夕食に向かいました。

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パールロードは鳥羽市と志摩市を結ぶ全長23.8kmの観光客の利用が多い道路で、2006年に全線が無料化されました。
途中にある面白展望台からは、伊勢のリアス式海岸線の絶景を堪能できます。

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私たちの夕食兼宿泊の場所です。

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http://uehisa.com/

相差は豊かな漁場として有名で、此処の宿の特徴はご主人が入手した、真鯛、ひらめ、ぶり、伊勢えび、あわび、サザエ、カキなどの豊富な海の幸を、海の幸に合わせた方法で提供してくれることですhappy01

私たちは宿に着いて少し休憩をした後は、お風呂に行きました。
お風呂も清潔感があって綺麗です。

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(写真は宿のHPより引用)

お風呂の後は、楽しみの夕食です。
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(逆光ですみません)

見て下さい、この船盛のボリュームlovelyupgoodflair

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この他にも、焼き魚や様々な料理を頂きましたsign03

sun翌日は、朝食の前に民宿の近くを散歩

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   (海側から見た宿)              (相差漁港)

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(朝食は写真に撮るのを忘れていました―イラストでご容赦ください-)

さて朝食の後は、私たちは伊勢神宮内宮へと向かいました。

皇大神宮(伊勢神宮内宮)は国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りしています。

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私たちは宇治橋を渡り、正宮へとお参りしました。

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伊勢神宮は最近はパワースポットとしても知られていて、何か体が清められるような凛とした空気が漂っています。

お参りの後は、宇治橋前から五十鈴川に沿って続く「おはらい町」を散策しました。
さすが内宮の鳥居前町として発達しただけあり伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や銘菓の老舗、旅館が軒を連ねています。

「おはらい町」に来たら、やはり「赤福」本店に行き、赤福を頂かないてはありませんよねsign01

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http://www.akafuku.co.jp/about/honten/

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写真はWikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A6%8F%E9%A4%85

やっぱり、私たちは「赤福」が好きですheart03

赤福を堪能した後、私たちは団子さん三兄弟は、大阪へと帰路につきました。

久しぶりの兄弟の旅の安全を、あの世で伯母だけでなく父や母も見守ってくれたのかな、と思っています。

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伯母さんお墓参りではありますが、私たちにとっては多くの人に親切にしていただき、楽しい旅になりました。
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この場をかりて感謝申し上げます。有難うございました。

2018年1月 7日 (日)

田舎あられ作りを手伝いました

I helped with the making of cubic rice crackers of the Japanese traditional food at ISE-SIMA.

私の母の故郷の伊勢志摩では、冬の寒い時期になると、お餅をつき、そのお餅に青のり、黒ごま、梅などの自然食材を練りこむ『田舎あられ』を作っています。田舎あられは、日本ならではの郷土おかき、であると同時に保存食なのかなとも思います。
昔は各家庭で作っていたようですが、今ではその『田舎あられ』を作る家も減ってきたようです。叔母の家では毎年、作っており、今年は手伝うために志摩に行ってきました。

前日からもち米をといでから十分に水に浸しておき、当日に水気を切り、蒸し布で包んで蒸していきます。

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(写真はウィキペディアより引用)

次に、蒸したもち米を杵と臼で米粒の形がなくなるまでつきます。昔は下にイラストの様に杵と臼でついていたようです。

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(写真はウィキペディアより引用)

今は叔母の家でも機械でついています。

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ある程度、ついた状態で天然素材(写真は「しそ」)を加えて、更につきます。

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つきあがったお餅です(写真は「よもぎ」)。
実は私はこのお餅が大好きで、底に残ったお餅をこそいで食べました。

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つきあがったお餅を写真の様な形に整え乾かしていきます。

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二晩ほど乾かすと、ある程度、硬くなるので、7~8mmの厚さになるようにへいでいきます。乾かし過ぎると硬くなりへぎにくくなります。

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翌日には、更に長さ2、3センチcm程度の長さに拍子切りにします。

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更に乾かせて、『田舎あられ』の出来上がりですが、残念ながら私は出来上がりを見ることなく帰宅しました。

母が健在な頃は乾燥させたあられを炭火やガスの上でシャッシャッと炒ると香ばしい『田舎あられ』が出来上がります。父もこの 『田舎あられ』が大好きでした。

今年も出来上がった『田舎あられ』を送って貰えるのを楽しみにして、今は亡き父母を思い出しながらいただく事にします。

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2017年12月20日 (水)

帰国して行ったところ

サモアにいるころから、日本に帰国して行った所は

1.大好きな高橋真梨子さんのコンサートをフェスティバルホールに観に行きました

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やっぱり、真梨子さんのバラードは最高!。

2.あべのハルカス美術館に「北斎」展を観にいきました

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《富嶽三十六景 凱風快晴》  《富嶽三十六景 神奈川沖裏波》

何故、こんなにも素晴らしい日本文化が大英博物館に保存されているんだpout

3.国立京都美術館に国宝展を見に行きました

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   「伝源頼朝像」               「燕子花図屏風」 尾形光琳筆

サモアに行くまでは、思はなかったのですが日本の伝統国宝がこうして現代にまで残り、私たちが鑑賞出来ることは素晴らしい事だと思います。

これらの文化財は大切に保存して、未来の人に日本の伝統文化を伝えていって欲しいと思います。

2017年10月28日 (土)

派遣を終えサモアから戻りました

本日、2年間のサモア派遣を終え日本に帰国しました。

これで良いのかと悩み続けた2年間ではありました。正直なところ2回ぐらい任期を短縮して日本に帰りたいと思いました。でも今帰っては此処までの過程が水の泡と消えてしまう、と思い、なんとか留まる事が出来ました。
でもそれを乗り越えたあたりから、日本では到底、経験出来ないポリネシアン文化に触れた事は生涯忘れられない財産です。

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   (JICAドミトリーの入口)            (成田空港)

私の2年という派遣期間に3回もサモアに来てくれた妻、JICAサモアのスタッフの皆さん、ボランティア仲間、サモアの検査室のスタッフ、日本人会の皆さん、日本から声援を送ってくれた先輩・友人、大家さん、サモアの街角で優しく声をかけてくれるサモア人、大家さんの犬と多くの方にご支援をいただいたことを改めて感謝申し上げますheart02

今後の事は未定ですが、この経験を生かして、日本そして世界の臨床検査の発展に寄与する、世界に出てみたいという臨床検査技師の役にたつ、世界で活動できる臨床検査技師を育てる等の仕事が出来たら、と思います。

このブログではJICA派遣に直接的な話題は終える事としますが、気に向くままに臨床検査に関する事、趣味の城見学、日本の文化などを紹介していきたいと思います。

今後とも宜しくお願いします。

2017年10月11日 (水)

私の送別会をしてくれました

サモアでのJICA SVとしての活動を10月6日(金)をもって終える事としました。

臨床検査におけるSVとしての役割は何なのか?と悩み続けた2年間でした。そんな私にいつも優しく接してくれたのは、やはりサモア人スタッフです。
そんなサモア人スタッフが、本日、検査室で送別会を行ってくてましたhappy01(感謝)。

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様々な記念の品も頂きました(生涯の宝物です)。

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記念の写真のパネルです。
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思い起こせば、2年前にサモアに臨床検査のSinior Volunteerとして来てのですが、何も成果らしい成果はだせませんでした。でも日本人はこうして働くんだ、とばかりに一生懸命働きましたし、その過程で特に若い人には、いろんな事(技術、考え方etc)を伝えたつもりです。
その気持ちが通じたのかB.Jが今日からはヤスはマタイ(酋長)でマタイネームとしてTupuivaoを授けるよsign01、と言ってくれたのは嬉しかったです。

最後の挨拶は、「私はサモアでの経験を日本で生かして、また日本で働くつもりです。そしてサモアと日本の架け橋になりたい」と締めくくりましたgood

全てのサモア人に感謝です。

2017年10月 9日 (月)

ナムア島に行きました

サモアでは10月の第2日曜がWhite Sundayという祝日で、翌日の月曜も休みとなり連休です。

昨年は、この連休を同じ職場で働くマタさんの家にご招待していただき、White Sundayを楽しんだのですが、今年は日本大使館で働くSさんの企画でウポル島東端にある水道も電気もないナムア島(Namua island)に行ってきました。

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参加者は大使館・JICA関係者やその家族など、約40名の大イベントです。
その日だけは、サモア在住の日本人の約半数がナムア島に行ったことになり、ナムア島は日本人の占領状態です。

私達は雨が降る中を車に分乗して、ウポル島を南下しナムア島を目指します。
天気がどうなることやらと心配したのですが、アレイパタのボートの発着所に着く頃には雨も上がりました。向こうに見える島がナムア島です。

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(左写真は84motoさんのブログから了承を得て掲載_)

このボートをピストン輸送して島に向かいます。

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この辺りはウミガメがたくさんいるので、ほぼ毎回見られるそうですが、僕たちがボートに乗った時は見れませんでした。
が、別の組はボートがウミガメに並走してするので、見せてくれているのかと思いきや、なんと船からサモア人が飛び込んで2回も捕まえてきてくれたそうです。
恐るべし、サモア人の身体能力!scissors

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(写真は84motoさんのブログから了承を得て掲載_)

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皆でウミガメを見た後は、海に帰って行きました。ウミガメさん、有難うhappy01

全員が島に着いた時には昼近くとなり、Sさんがご用意してくれた肉(早朝から漬けこんで下さった)とビールでバーベキューです。

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昼食後は、皆で海に入ったのですが、なんと、ウニがいっぱい採れます。
日本にウニとは、少し味が違うような気もしますが、結構、美味しかったですよscissors

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(両写真とも84motoさんのブログから了承を得て掲載_)

夕食は皆で食堂で頂きます。

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夕食を頂いた後、誰かがヤシガニを捕まえてきました。
かなり大きく思いましたが、養殖で来ているY SVによると、これぐらいならまだ子供だそうです。

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『ヤシガニは陸上で生活する最大の節足動物である。名前の通りカニに似るが、ヤドカリの仲間である。雄は雌より大きく体長は40センチメートルを超え、脚を広げると1メートル以上にもなり、4キログラム以上に成長する。

日本ではヤシガニのその名前や言い伝えから、「ヤシの木に登りヤシの実を落として食べるカニ」としてのイメージが定着している。必ずしもその主食にヤシの実があるわけではない。ヤシの実を食すことは確かだが、実を切り落とすために木に登る習性も確認されておらず、上記のイメージは口述伝承から生まれた誤解である。』

Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%82%AC%E3%83%8B

寝るのは3〜4人用のビーチファレです。海の前にあるので、僕は波の音で熟睡出来ませんでした。また中に各ベッドに蚊帳を吊ってくれているのですが、結構、穴があり、蚊の出入り自由という感じです。

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翌朝は皆で山に登った後、記念写真を撮って解散となりました。

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Sさん、ナムア島のイベント企画、有難うございましたhappy01
私は帰国前に、サモアの良い思い出が、また一つ増えましたheart04

2017年10月 7日 (土)

アピア港拡張事業

日本人会の行事の一環で、日本が行っているアピア港に拡張工事の見学に行きました。

アピア港はサモア唯一の国際港で外国貿易の約97%にあたる貨物を扱っていて、サモアのあらゆる必需品がここに集中してきます。
アピア港は1966年にニュージーランドの援助で造った185mの旧岸壁と2002年に日本の援助で造った165mの新岸壁の両岸壁が使われています。

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近年はコンテナが巨大化し、旧岸壁は建造当時には想定されていなかった負荷がかかるようになり、負荷が比較的かからない客船や漁船のみで、大きな負荷のかかる貨物船の対応は新岸壁がメインとなっているようです。

このように新旧の岸壁は『く』の字型をしているので、大型クルーズ船が来ると、船舶は岸壁からはみ出した状態で接岸せざるを得ません。
クイーンエリザベス号が寄港した時が、まさしくそうでした。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=86981975&blog_id=722699

さらに船舶の離着岸を支援する船舶(タグボート2隻)の老朽化が進んでいるようです。

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日本政府はサモア政府との間で、1)岸壁の延長、2)コンテナヤードの補修をメインとした港湾施設の改修、3)タグボートの修復 により安全で効率的な港湾機能の目的とした「アピア港安全向上計画」の35億に及ぶ空前絶後の無償資金協力となりました。

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実際の岸壁の延長工程は水深11mの海底に直径70~90cm、長さ40m超の杭を350本以上打つ打ち込み、その上にコンクリートで床を作るとのことです。

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「写真:Brady社提供」                   「写真:Brady社提供」

杭の上に載せるコンクリートはプレキャスト化(陸上で製作しクレーンで設置する)しているとのことです。

工事現場には日本から運び込まれた様々な重機が・・・・ヽ(´▽`)/

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このような機材をみると、年がいもなく少年のようにワクワクhappy01してしまいます。

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sunこのプロジェクトは来年6月には完成予定で、さすが日本の企業が造ったものは高品質と喜んでいただき、サモアの経済発展に寄与して欲しいものですsign03

またこのプロジェクトを完成させるために日本だけでなく多くの国の技術者が参加しています。

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最後に参加者全員で記念写真を撮りましたcamera

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日本人会の幹事の皆さん、素晴らしい企画を有難うございましたscissors

2017年10月 2日 (月)

サモアのピンクリボン

ピンクリボン(Pink ribbon)とは、乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進すること、などを目的として行われる世界規模の啓発キャンペーン、もしくはそのシンボルです。

日本人女性のうち、乳がんを発症する割合は約12人に1人と言われており、また、乳がんで死亡する女性の数は年間約1万人弱とされ、そのキャンペーンは年を増すごとに拡大しています。

ピンクリボンを活動のシンボルとして使いはじめ、ニューヨーク・タイムズ紙が1992年を「リボンの年」と宣言しました。

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日本でピンクリボン運動が一般的に認知されるようになったのは、2000年代に入ってからのことで、東京タワーをピンク色にライトアップしたことがきっかけといわれています。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3

今年もエッフェル塔でピンク・リボン25周年を記念しピンク色にライトアップ。

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http://www.elle.co.jp/culture/feature/PinkRibbon_and_medical_insurance17_1005/1

日本では東京スカイツリーが ピンク色にライトアップ

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ところがサモアではライトアップなんて中途半端な事はしません。
なんとアピアの中心にある時計台をピンク色に塗ってしまいましたcoldsweats01

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flair塗装される前 2015年11月撮影

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shineピンク色への塗装作業

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写真は http://www.samoaobserver.ws/en/01_10_2017/local/24935/Town-clock-goes-Pinktober.htm から引用

flairピンク色に塗られた後

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これで時間に関係なくサモアのシンボルの時計台もピンクリボンに変わった姿を見ることが出来ます。

サモア人、サモアの街って面白いと思いませんか?happy01

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2017年9月19日 (火)

日経メディカルオンラインにサモアの検査室を掲載していただきました

私のサモアでの活動のまとめというわけではありませんが、日本の臨床検査技師にサモアの検査室を知っていただきたいと思いから、日経メディカルオンラインの「医師の知らない?検査の話 」のコナーで「第32回 臨床検査技師と国際協力 検査室へのシステム導入前の日本を思い出します」と題してサモアの検査室を紹介させていただきました。

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http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/series/clinicallabo/

閲覧するには無料会員登録が必要となりますが、お時間のある時にでも見ていただけたら有難く思います。

一人でも多くの臨床検査技師が開発途上国の医療に興味をもっていただければと思いますし、海を渡って仕事をするきっかけになれば有難いです。

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